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LOTUS 100T HONDA [クルマ]

今日はこれについて良いコメントしか聞かないので、リアルなコメントを。

 

1988年、当時最強と言われたホンダV6ターボを搭載しながら、16戦15勝したマクラーレンMP4/4とは対照的に、ワールドチャンピオン、ネルソン・ピケを以ってして3位2回と1度も優勝戦線に絡めなかったマシン。前年の99Tはアクティブサスペンションを搭載し、究極のライドハイトコントロール機能を有していたが、その熟成不足が2勝にとどまる低成績の原因だったと決め付けられ、100Tはオーソドックスなショックアブソバー形式に「戻された」。(アクティブサスは1992年にウイリアムズが完成させF1GPを2年に渡り席巻した。)当時、ハンドリング性能ではフェラーリF187(F187/88C)がNo.1とされていたからか、フォルムはF187に酷似していた。このボディ形状もF187に似てはいたが、カウリングとの一体成形のF187とは対照的に、モノコックにカウルを被せる100Tは1世代遅れた技術だったといえる。

コーリン・チャップマン博士が革新的な技術を世に送り出し、F1におけるテクノロジーを常にリードしてきたロータスも博士の死後低迷する。新進気鋭のアイルトン・セナを起用し存在を示してきたが、革新的なアクティブサスの採用とHONDAエンジンの採用が同時だったことはロータスの技術力を示すにはBADタイミングだったかもしれない。もしあのままアクティブサスを捨てていなかったら・・・という世論は多い。

ロータスは1987年のデトロイトGPの勝利が最後(99T HONDA/アイルトン・セナ)、その後存続するも1994年を最後にF1GPからは姿を消す。その低迷期での話題は、ミカ・ハッキネン、ジョニー・ハーバートによる1992年のワークス食い、1994年イタリアGP(107MUGEN-HONDA/J.ハーバート)の予選4位などが光った。


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